ウランガラスとは

「ウランガラス」とは、着色剤として微量のウランを混ぜたガラスのことで、主に黄色や緑色をしています。1830年代からヨ-ロッパで製造が始まり、ボヘミア地方を中心に、食器など各種のガラス製品が大量に作られました。しかし、現在では米国などで僅かな量が生産されているにすぎません。一方、日本では明治に西欧から近代ガラスの製造技術が投入された後、色彩豊かな氷コップなど日本の独自色が現われてくる大正期から、ウランの一般使用が禁止される昭和初期のほんの短い間に、日本でもウランガラスが作られました。このウランガラス最大の特徴は、紫外線ランプを当てると、黄緑色の蛍光を放つことです。暗闇の中でブラックライトなどの紫外線を受けて怪しく光るのです。太陽光や普通の蛍光灯に含まれている紫外線にも反応して蛍光を出しますが、これがガラスの内部を通ってカット面などから出てくるため、この部分で特に黄緑色が強いことが観察できます。放射線の健康への影響もTV並みで無視できるもので、他の金属を混ぜた着色ガラスと変わらず特別なものではありません。それもあってか同じようなデザイン、形状、模様や大きさで、皿、コップ、氷コップ、コンポ-ト、小鉢、ボ-ル、蓋もの、徳利、アイスぺ-ル、砂糖壷、菓子入れ、一輪挿し、花瓶、海綿入れや時計枠など、シンプルな生活骨董のほぼあらゆるジャンルでウランガラス製品が見られます。日本のウランガラスは外国のものに比べて、ウランの量が少ないせいか、本来の着色と蛍光の発光が幾分薄い感じがしますが、和ガラスの控えめな印象にマッチしているように思います。新しく模造品でも作らない限り、数が少なく限られているだけに貴重なものです。和ガラスの中では、製造年代がはっきり限られた、移植の存在であることは間違いないでしょう。

                      【参考文献】「週末の和ガラス」河本慶子著

日本のウランガラス

日本のウランガラスは、明治32年岩城滝次郎が米国より初めて伝えたと言われていますが、日本の近代ガラス産業の発展に合わせて一般的に大正から昭和の初めにかけて製造され、生活道具、工芸品や真空管の部品などに広く使われました。大正時代に大阪の島田硝子が、その名前を記したガラス瓶を製造し輸出した記録もあります。昭和天皇のお召列車専用蒸気機関車C51239号にもウランガラスを使った前提灯「ゴ-ルデングロ-ライト」が取り付けられています。日本では製造が途絶えてしまいましたが、岡山県上斎原村(人形峠)では最近になりウランガラスの製造の再開に成功し「妖精の森ガラス」と命名されています。

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「妖精の森ガラス美術館」

ウランガラスの歴史

みなさんは、「ウラン」と聞くと、原子力発電に使っている別世界のものと思っているかもしれません。しかし最初のウランの利用法は、なんと美しいガラスだったのです。ウランガラスとは、着色剤として少量のウランを混ぜて作った緑黄色のガラスです。ウランが発見されたのが今から200年前ですが、その後ウランの黄色いことを利用してガラスの着色に利用されるようになりました。ウランガラスは1830年代にチェコで発明され、欧米に広がり工芸品や食器などが大量に作られました。ウランガラスの最大の特徴は、紫外線を当てると緑色蛍光を出すことです。ウランガラスを見分けるには、紫外線ランプを利用することが最も簡単です。また、ウランガラスに含まれているウランは通常0.1%から1%程度で、ウランの放射能はごくわずかです。一方、自然界には地球や宇宙からの放射能があり、人体のカリウムからも放射能を出しており、ウランガラスの放射能については心配する必要は全くありません。更に、ウランはガラスに閉じ込められていて外に出ることはありません。しかしウランガラスなどの着色剤として使用されたウランは、第二次世界大戦中に原爆の材料となり、ガラス等への利用が禁止され一気に衰退しました。戦後、利用禁止が説かれましたが、ウラン製造を再開したのはアメリカ、チェコなど数か国、数社にとどまります。したがって現存するウランガラスの製品は殆どが骨董です。数奇な運命を経たウランガラスは、今や不思議な美しさで人気を集めています。

                     日本ウランガラス同好会・会長  苫米地 顕

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ウランガラス電球(カナリア電球)

大正9年(1920年)に「カナリア電球」という名前の電球が開発された。この電球はウランガラスを使用した特殊な電球で、ガラスバルブが黄緑色(カナリア色)に見える電球である。ウランガラスは蛍光特性を持っており、紫外線や青色光を吸収して520nm近傍の光(黄緑色)を放射するので、明るさを減らさずに、紫外線と青色を減らすことか出来る。効果としては眼精疲労を減らすことか実験的に確かめられ、目に良い電球として販売されました。     マツダ・カナリヤ電球は共硝子球をウラン硝子を以って製作してありますから、紫外線の放射を絶対に防ぎ、光線は温か味のある黄色を帯びて居ります。眼を灯火に於いて劇しく使う場合に其障害を予防し、又養蚕燈としては特殊の性能を現し、非常に有効であることが各地で実証せられて居ります、とあり養蚕にも利用されたということです。下記写真の電球は、上半分が艶消しになっています。「艶消し電球」は大正14年(1926年)に東京電気が発明したので、この電球もそれ以降ということが分かります。また、電球の表面に「マツダ」の文字が見えますが、上記の石崎氏資料によると、マツダマークは大正14年(1926年)から使用されたとのことです。他に、「瓦斯」のような文字が見えます。「アルゴンガス入り電球」は大正4年(1915年)の発明なので、これからも時代が分かります。100V・60W。高さ約10cm、幅約5.5cm(現在の電球より1割程度大きいです)。自然光ではウランガラスには見えませんが、紫外線で緑色蛍光を出します

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玻璃器蔵フォトギャラリ-

 

    【うつわ】

お知らせ及びお詫び

現在、フォトギャラリ-に掲載しております写真は、大門蔵内の仕分作業中のためまだ一部しかアップされておりません。作業が完了したものから順次アップして参りますので、大変に申し訳ございませんが全品掲載まではもう暫くお待ちください。 

詳しくは「善光寺大門蔵

大谷勝治郎氏の手紙
2023/04/23

「洋燈考」の著者大谷勝治郎氏からの手紙が、先日5代目篠原基國の遺品のなかから見つかりました。大谷勝治郎氏が長野オリンピック観戦に長野に来られた際に当店のウィンドウに目を止め突然来店をされました。翌春(1999年4月)ご丁重に下さった御礼のお手紙です。

詳細はこちら
洋燈蔵 蔵書:「洋燈考」

「洋燈考」大谷勝治郎著
大谷勝治郎氏落款

本著「洋燈考」は、洋燈、石油ランプの歴史・種類・体系を知るうえで貴重な一冊です。当HPでも多くのものを引用させていただいてます。

フォトギャラリー更新
2023/02/19

フォトギャラリー 2⃣あかり2-6 石油ランプの部品 

日本橋瀧澤商店 特注ホヤ
らっきょ型・涙型

大門蔵

大門蔵2階の藁俵を解体しましたら大量の日本橋瀧澤商店特注の店名入ホヤが出てきました。

フォトギャラリー
2⃣ あかり
2-6  石油ランプの部品

洋燈蔵
日本の洋燈の構造

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abn長野朝日放送「いいね!信州スゴジカラ」12月19日放送【書道のまち長野市篠ノ井の書在地】で当店所蔵の川村驥山扇揮毫「福喜受栄」額と貴重な驥山扇のプライベート8mmが当店元会長夫人のインタビューと供に放映されました。
 

看板&家宝
「川村驥山扇 揮毫」

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NHK「チコちゃんに叱られる」2月28日放送【石油ランプの秘密】で当店HPの石油ランプの資料が使用されました。