善光寺大門蔵は、長野市のJR長野駅から善光寺へと続く表参道の門前町、大門町にあります。(旧「日本橋 瀧澤本店」長野支店) 現在、善光寺大門蔵は二つの土蔵があり【一の蔵】には、「日本橋 瀧澤商店」創業時からの洋燈(ランプ)・玻璃器(ガラス器)などの商品や過去の資料が主に収蔵されています。 【二の蔵】には、大正から昭和にかけてのガラス器などが主に収蔵されています。また、昭和55年に一番大きな三階建ての土蔵を老朽化により解体し、収蔵品を現在の二つの蔵に移したのですが、その際解体業者が移設も行ったため破損したり、廃棄されたりして消失したものも多く、またその後も整理されずに押し込まれたままの状態にになっていました。 今回、平成27年11月に一カ月掛けて土蔵のなかを片付けをしましたが、ガラス屑など廃棄物だけで2トン車5台分運び出したにもかかわらず、【一の蔵】の二階もまったく手つかずの状態で全体としてもまだ半分も終わっていないのが現状です。ましては、品物の仕分や過去の資料(大福帳・カタログ・書簡)の整理にまで手が回っておりません。 今後も時間を作って長野に行き、片付けを続けて少しづつですが品物や資料を仕分、分類したうえで順次サイトを更新しまいりますので皆様にはお時間をいただき、今後も引き続きご愛顧・ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
善光寺は長い歴史の中で長野の街づくりの核であり、都市生活の中でも、庶民の心のよりどころであった。天変地異、火災などの洗礼を受けながら、なお都市の核としての門前町をつくり、庶民の生活を見守るように屹立しているランドマ-クであった。商業施設をスプロ-ル化させ都市のダイナミズムを演出する主役であった。そして民家や町屋は善光寺と共鳴するように主役にかしづくような統一されたデザインを持ちながら林立してきた。実に統一のとれた瓦と白壁の建築様式である。また西洋の建築技術が盛んになるにつれて、多様な建築様式が流入して、それが仏教だけで飽き足らない庶民の心を満足させるべくロンドンの都市のように旧建築と新建築を共生させて来た。この写真集はそんな善光寺表参道である長野市の中央通り沿いの商店や旅館の昭和元年当時の様子を建築物の観点から記録した貴重なものである。
「洋燈考」の著者大谷勝治郎氏からの手紙が、先日5代目篠原基國の遺品のなかから見つかりました。大谷勝治郎氏が長野オリンピック観戦に長野に来られた際に当店のウィンドウに目を止め突然来店をされました。翌春(1999年4月)ご丁重に下さった御礼のお手紙です。
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洋燈蔵 蔵書:「洋燈考」
本著「洋燈考」は、洋燈、石油ランプの歴史・種類・体系を知るうえで貴重な一冊です。当HPでも多くのものを引用させていただいてます。
abn長野朝日放送「いいね!信州スゴジカラ」12月19日放送【書道のまち長野市篠ノ井の書在地】で当店所蔵の川村驥山扇揮毫「福喜受栄」額と貴重な驥山扇のプライベート8mmが当店元会長夫人のインタビューと供に放映されました。
看板&家宝
「川村驥山扇 揮毫」