「コップ酒」はおそらく明治から使われ始めた言葉だが、文政年間の川柳にも「暑い日の酒は是ぞとこつぶ好き」というのがある。盃ではものたりずにガラスのコップで酒をあおる姿は江戸後期にはもうさほど珍しくなかったのかもしれない。ちなみにコップはオランダ語のKopポルトガル語のCopoでだいぶ早くから使われていた言葉だが、当時は脚や台のついたワイングラスを差していた。その後、明治にはいつのまにか寸胴のタンブラ-を表すのが多くなったのだが、量産しやすいこの形はガラス製品が普及するのに伴いどんどん市民権を得ていったようだ。いっぽう瓶詰の清酒は明治十九年頃から試みられ、明治三十年代になると有名酒造が次々と販売を始めた。それまで酒と言えば徳利を持って酒屋に行き樽の量り売りを買っていたのだが、なかには混ぜ物をする店もあり、瓶のもと詰めはそれを防ぐ手段でもあった。とはいえ、酒の残量が一目でわかるガラス瓶は酒飲みにとっては便利なようで厄介なものともなった。 「刺激が確かに多く飲めない日の苦しさが段々に忍び難くなつてきた」とは柳田国男(明治大正史・世相編)である。
別冊太陽「明治・大正のガラス」井上暁子著
一升瓶(いっしょうびん)とは、日本で用いられている液体専用のガラス製容器(瓶)で、容量は1800ミリリットル±15ミリリットルである。その容量は一升に由来する。瓶の起源が日本酒用だったこと、リターナブル瓶であることの2点から、商品として充填される液体はほとんどが飲料や調味料などの食用品であり、食用に適さない製品が充填販売されることは非常に稀である。
一升瓶の規格は、JIS S2350:2014 「容量表示付きガラス製びん(壜)」でその規格が定められており、通常「JS-52 1.8リットル丸正びん」と呼ばれている。これによれば、 高さ=395±1.9 mm、底部直径=105.3±2.5 mm、 上部直径=30±0.3 mm、 最小肉厚 1.7 mm、容量=1800 ±15 mL、参考質量 950 g
明治時代にガラス瓶が普及し始めた初期の1886年(明治19年)頃から、人手によって瓶を吹く一升入りの瓶が主として日本酒向けに製造されはじめ、1899年(明治32年)には卜部兵吉が江井ヶ嶋酒造の工場に併設のガラス工場で一升瓶を生産し、ビン入りの清酒を業界に先駆けて発売した。その後1900年(明治33年)前後から灘・伏見などの大手酒蔵でも(偽物と区別する)品質保証の見地もあって瓶詰めの日本酒を販売するようになった。この時期に現代まで見られるような、細口で背が高く、肩部のなだらかな、定型的な形状が定着した。大正時代には職人による手吹き一升瓶が相当に広まりつつあったが、1922年(大正11年)には大阪の徳永硝子製造所が、専用製造装置による一升瓶の「機械吹き」を実現し、従来とは段違いな大量生産が可能になった。以降、伝統的な木桶や大徳利にとって代わる形で、食用の液体保存手段を一新し、食品流通のルートに組み込むことで回収・再利用が可能なこともあって、日本国内独自の規格形ボトルとして広く普及した。太平洋戦争後も長らく飲料・調味料用の瓶として用いられてきたが、大きく嵩張ること、容量の大きい割にはやや肉薄で割れやすいこと、核家族化の進行で家庭用としては過大容量気味な容器となったことなど、この瓶独特の問題もあった。高度経済成長期以降、用途の一部は中身の使い切りやすい小型瓶や金属缶容器に侵食されるようになり、更にバブル景気の頃より、大型瓶の用途でも次第に軽量で扱い易いペットボトルなどへの置き換わりも著しく進んだ。
Wikipedia参照
ガラス彩話①氷コップのル-ツ
ガラス彩話②明治のあかり
男のコップ酒
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現在、フォトギャラリ-に掲載しております写真は、大門蔵内の仕分作業中のためまだ一部しかアップされておりません。作業が完了したものから順次アップして参りますので、大変に申し訳ございませんが全品掲載まではもう暫くお待ちください。
詳しくは「善光寺大門蔵
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洋燈蔵 蔵書:「洋燈考」
本著「洋燈考」は、洋燈、石油ランプの歴史・種類・体系を知るうえで貴重な一冊です。当HPでも多くのものを引用させていただいてます。
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