玻璃器蔵:蔵書 No001
    随筆 「がらすやむかし語」 

     【著 者】   佐々木源蔵  (佐々木硝子元会長)

     【発行所】   佐々木硝子株式

     【発行日】   昭和30年10月5日  (非売)

本書は、五十余年をガラスに生きた佐々木硝子元社会長佐々木源蔵氏が、業界の古い思い出を基に書き綴った本です。明治から大正・昭和にかけてのガラス業界を業界の中から見た視点で様々な経験、資料、エビソ-ドも含め書かれていて当時を知る貴重な書籍です。また、当店(日本橋 瀧澤本店)についても明治時代のランプ業界も含め詳しく書かれています。

 半世紀前の同業者  其一                               P86~


随筆 「がらすやむかし語」      佐々木源蔵著

今より半世紀前の1900年は即ち明治33年、石油ランプ最盛期の頃と言うべきであろう。硝子製品を扱う同業者と言ってもまだ医科、理科、瓶類の専門業者は極めて少数で、その大部分はランプ問屋とランプの小売業であった。工場もランプの傘、油壷、ホヤ等ランプ系統の製造所が断然多数を占める時代であった。その頃東京市内15区に散在したランプ硝子器卸小売の大小の同業者を記憶から一瞥して、当時の区別に連記してみたが、其中に特に印象づけられて脳裏深く刻まれた。最も勢力を争った四大問屋と言われる大商店がある。そこで先ずその四大問屋の概略を記してみよう。

  四大問屋の一(半世紀前の)   

滝沢鉄五郎  日本橋区材木町二丁目(現江戸橋一丁目)   

長野市東町出身、伝えられる処では明治20年前後45、6歳で上京、夫婦して露店やランプの担ぎ売りから身を起こし数奇の運命と闘い必死の努力をなし、僅か十数年にして同業の先輩を凌ぐ大をなした。真に立志伝中の人である。本店を前記日本橋区材木町に、仕入店を同堀留町に、東京支店を馬喰町一丁目に構え多くの店員を擁し、各地にも多くの支店を設置し、更に朝鮮、支那にも進出を試み、当時断然他を圧するような勢いであった。年齢は既に60前後の歳と思われたが非常に積極的な経営ぶりであった。此の店の看板は特異中の特異と請うべきもので、即ち間口一杯の屋根看板は高さ六、七尺以上、全部真赤に塗りつぶし、白字に太筆に○上瀧澤本店と書いてあった。是は各支店は勿論取引工場にも強制的に揚げさせ、地方取引先にも希望により是を揚げさせたほか、当時の荷造り箱は全部百斤茶箱造りで、未だ俵、コモ包などの始められぬ頃、此茶箱の両小口に同様の石版刷ペイパを張り、中々派手好みの宣伝をした。そして赤塗りの馭者台付きの幌馬車を常備して是にも三方に同様赤地白抜きで瀧澤本店として、毎日の集荷と配達に使用したが、当時を思うと今日の宣伝の自動車以上価値のあるものであった。このような宣伝は現今では別段に刺激を与える程のものではないが、明治時代のランプ問屋は極めて地味であった。屋根の看板も精々木刻の看板位で、百斤茶箱の小口張りも大方は古新聞に墨で木版刷、それも箱屋の小僧が刷って注文に応じて小口張りにして届けると言う、至って消極的で広告らしい広告をする店さえない頃であったから、瀧澤のやり方は実にづば抜けた派手な存在であった。その頃の東京人を瞳若たらしめ今尚、人口に會灸される。銀座の天狗煙草の派手な広告を真似たものと言われ、「煙草の岩谷かランプの瀧澤か」と言われるまで宣伝是つとめようと考えてのことであつたと、当時瀧澤の看板を工場の入口に揚げた佐川のご祖母さんは昔をこう語られた。更に正月の初荷には同様小口に美しいペイパを張った茶箱を山積みとした。荷馬車十数台を行列させて態々示威的に回り道をして、同業者のある町を練り歩かせた上運送店に引き渡すなど、実に派手で競争意欲旺盛な持主であった。故にランプを商う程の人で瀧澤の名を知らぬ者はいなかった。此人と誰も明治末期にはランプの凋落をなげき、硝子製品の全和食器により業界の挽回を計らんものと、其製品によつて一日上野の料亭に知人を招いて、試食会を催したエピソードもある。然し世の中はまだそこまで進歩していなかった。程なく老衰のため長逝されたが、実に惜しむべきランプ界の大偉人であった。地方瀧澤支店には左の五大支店があった。一、横浜市福富町二丁目  永瀬平蔵  一、宇都宮市曲師町  島田信豊 一、仙台市東一番町  村越敬三 一、長野市大門町  篠原喜十郎 一、大阪市西区  横井寅三郎   右のうち、長野と宇都宮は今日も引き続き盛大に営業をされている。馬喰町一丁目の支店は、瀧澤氏女婿 横井寅三郎によって開設されたが、二年後に大阪に転出するために一度閉鎖し、大阪支店も開設数年ならず横井氏が家庭の都合上独立することになり支店の名を廃し横井寅三郎商店と改められた。そこで又日本橋小伝馬町に再度支店を設置されたが、大震災を契機として廃止となった。大正年代まで瀧澤本店は営業されたが後継者なきまま、今は長野と宇都宮に其名残りを留むるのみである。長野市瀧澤商店に保管されてある明治41年~43年の雑誌と新聞に掲載された、瀧澤鉄五郎氏成功美談を拝借して一読することが出来た。それによると日露戦争の直前七十余年の老体を携げて朝鮮に渡り、殊の外の苦心を重ね仏蘭西人の教会に頼り支店を開設する運びとなったが、折柄開戦中の為大量の荷物も店員も舟諸共撃沈さるるの悲境に遭遇しながらも屈せず、更に是を繰返して遂に仁鮮に支店を設置したとあり、瀧澤氏は常に人に一年を三百六十五日と思わず、七百日と考えて働けと書いてあり、即ち成功するには人の二倍働けという事でその不撓不屈の人となりを知る事が出来る。夫人も夫瀧澤氏が単身上京した始め、其苦を察して翌春六十年ぶりの降雪と言われた雪のなかを、然も子供二人の手を引いて汽車の未だ通ぜぬ碓氷峠を徒歩高崎に出て汽車に乗って上京、以来夫婦して血の滲むような苦心を続けつつ夫を助けて成功に導いた。我国婦人の亀鏡であると長野新聞は六日間にわたり、瀧澤鉄五郎氏夫婦の成功美談が揚げられてあった。 然も瀧澤氏上京の動機と言うのは油屋である自分の家より失火して、多くの人々に迷惑を掛けて土地では再起不能のため、意を決していわゆる裸一貫で上京したと言う事であった。

石油ランプ 其の二                P25~

ランプの用途を分かりやすく説明するには現物に依らねばならないが既に得難いものになつた。熱心な蒐集家のあることも聞いたが、拝借して現物を写生する事は私にはすべがない。然るに久しぶりに宇都宮の瀧澤さん(旧瀧澤本店 宇都宮支店)を訪問した時、幸いにもかの有名な版画の川上澄生先生が昨年ランプの本を刊行されたと聞いて早速知人を介して拝借することができた。実に吾々業界人の懐かしい書物である。ご厚意に甘えてその一部を転写させていただいた。(本書は二十八年九月熱海の竜星閣から、限定版として刊行されたもの) ランプの時代が彷彿として其文面に顕れる。本書の書き出しには、A 文明開化は黒船によってやつてきた。ご維新になると文明開化は大ぴらでやつて来た。陸蒸気は車窓の外の風景を眼が廻るやうに走らせた。それにも増して針金便りは早い。櫓時斗や尺時圭は舶来の袂時計となつて人々の懐のなかにおさまつた。只今は何字時ですか」「西洋第九字時です」時計の文字板の羅馬数字を在来の刻限にあてはめた小冊子なども現はれた。そして頭には高帽子(ハツト)や平帽子(ケツプ)をかぶり手には洋傘(オンブレラ)を持ち足には靴をはいて紳士は馬車に乗った。この時文明開化は家庭にあつては洋燈の花を夜の闇の中に咲かせた。B 然り、洋燈は夜の華である。釣るし洋燈は天井からたれ下がって開花し、台洋燈は机上、卓上又は室内の至る所に開花し、柱にとりつけられて枝の先に花開いた如くあるのは背面に反射鏡を持つ洋燈である。洋燈が輝けば夜の闇黒は後退する。行燈や燭台の周囲にもやもやとにじんで居たうす暗がりは、洋燈に依つて完全に隣の室までに追いやられた。(版画の川上先生がこんなにランプに興味をお持ちのことは、私にとってはまったくの盲亀の浮木と言うべきで深く感謝申し上げる。)                 昭和甘九年六月

版画文集「ランプ」詳しくはこちら

 あいさつ  

合紙

本書は、五十余年をガラスに生きる弊社会長が、業界の古い思い出を基に、時折書き綴ったものでありますが、本年十月は創業者佐々木宗次朗逝きて二十三年の忌に当たりますので、その追福のためと併せて先覚諸氏の霊をも慰めんとの意図により是を刊行しました。                    幸ひ硝子の意識を深められる一端にもと御一読賜らば本懐の至りであります。

                    昭和三十年十月 

         佐々木硝子株式会社 社長  佐々木秀一

     「日本橋 瀧澤本店」 ポスタ-            京橋区鈴木町松地石販印行

 東洋玻璃器新聞        明治39年1月1日      「恭賀新年」一面広告

「日本橋 瀧澤本店」      茶箱小口張①

「日本橋 瀧澤本店」      茶箱小口張②

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「洋燈藏蔵書」新書紹介

日本近世・近代ガラス論考
岡本文一著 令和2年新潮社 

西洋から伝来したガラスの日本における近世・近代のガラスの歴史を専門的な製造技術から考察した論考書です。
日本のガラスに興味をお持ちの方にはおすすめの一冊です

岡本文一(おかもとぶんいち)
早稲田大学卒業
東京ガラス工芸研究所
明星大学教授、名誉教授

玻璃器蔵 蔵書
「近世・近代ガラス論考」

【大蜘蛛伝説】(2018)

武蔵野ミュージアム
「米倉+ジュリア展
                  だから私は救われたい」
                               (11/6~3/7)

鑑賞できる美術館

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【クリスタルパレス:万原子力発電国際産業制作品大展覧会】(2012)

ギャラリ-の暗闇で輝くウランガラスで制作されたシャンデリアや巨大なウランガラスの蜘蛛が浮かびあがる姿はウランという鉱物がもたらした強大な原子力に対する示唆を与えてくれる。(美術手帖引用)

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abn長野朝日放送「いいね!信州スゴジカラ」12月19日放送【書道のまち長野市篠ノ井の書在地】で当店所蔵の川村驥山扇揮毫「福喜受栄」額と貴重な驥山扇のプライベート8mmが当店元会長夫人のインタビューと供に放映されました。
 

看板&家宝
「川村驥山扇 揮毫」

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NHK「チコちゃんに叱られる」2月28日放送【石油ランプの秘密】で当店HPの石油ランプの資料が使用されました。

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