別冊 太陽 骨董を楽しむ「明治・大正のガラス」 (平成6年・平凡社刊)
「明治ガラスの特質を知る」ひと口に言って明治のガラス業界は、近代西洋と近代日本とが混在した時代であった。玻璃(ガラス)とびいどろ、工場と工房、金属鉛ガラスとソ-ダガラス、石炭と木炭の火力、鉄パイプによる舶来吹きガラスとガラスパイプ(共竿)のジャパン吹きなど、新旧2つを象徴する対照的な言葉をいくつもならべあげることができる。しかし両者は決して対等な関係ではなかった。その大きな流れの中でこそ、幾人かのすぐれたガラス工芸家たちが想像精神に目覚めていく動きも、意味を持って位置づけられているわけである。「ガラスの背景を読む」明治・大正のガラスを前にしたとき、外国製品に比べて不完全な部分を探し出し、見どころとして味わっているのではないだろうか。加えて、機械を用いていない「人間的動力」とでもいうべき信じがたい入念さ、経験と修行によって達成される熟練、今日の私たちが機械化を図ることで、努力して失わせた手仕事の冴えを、よき職人の時代として残照を見るように振り返って嘆賞しているところもある。そして何より、明治・大正のガラス器のいたるところに、外国製品にない日本特有の美意識が封じ込まれているからこそ、いとおしく手元に置きたいと感じる。そして、蒐集の真の楽しみは柔軟で独自の目を持つことともいえる。
明治はガラスという素材が生活のなかに深くとけこんでいった時代である。古きうつわたちには個性と表情があった。無色透明のガラスが日常を演出し、妖精のような色ガラスが都市のモダンさを象徴した。明治・大正の風趣が卓上によみがえる。
ガラスの酒器は夏。徳利も酒も盃も冷えたものの方がよい。ワインやリキュ-ルの脚付杯も、明治には単に「酒呑コップ」と呼ばれた。明治・大正・昭和初期の酒器は、素朴であって清涼、簡素であってどこか優しい。特にグラスは、飲む物によってショットグラス、ブランデーグラス、ワイングラスなどがあり、カットや被せガラス・プレスなど製法の種類、大きさ、色、文様などの様々な変化も楽しめる、和風の薫りがするロマンチックな和ガラスである。
明治・大正の工芸の面白さは和洋の混交と消化にある。ガラスの素材は江戸時代にも趣味的に用いられ、多彩な器物に姿を変えたが、明治はそれを引き継ぎ、その透明感、成型のしやすさを生かして、日本ならならでわの工夫、室礼が工匠の手で行われた。そこには涼味があり、洒落があり、遊びがあり、何といっても比類なき数奇の精神が脈打っている。
明治の和製ランプは、低い天井、座敷と言う日本の生活間に似合うようにつくられている。重厚よりも瀟洒を、豊麗より艶美を尊び、洋灯が和灯に変じている。姿の良いランプは日本ならではの形姿がそこにあり、いつまでも見てあきることかない。灯火用ガラス、とりわけランプの油壷やホヤの製造は、明治のガラス工業を支える主要分野で、生産高は瓶の製造につぐものでした。とくに油の消費量が一目でわかるガラスの油壷は人気があったが、当然こわれやすい欠点がありホヤとともに需要がたえることありませんでした。
ガラス彩話① 「氷コップ」 ガラス彩話② 「コップと一升瓶」 ガラス彩話③ 「あかり」
「ガラス彩話」詳しくはこちら
「洋燈考」の著者大谷勝治郎氏からの手紙が、先日5代目篠原基國の遺品のなかから見つかりました。大谷勝治郎氏が長野オリンピック観戦に長野に来られた際に当店のウィンドウに目を止め突然来店をされました。翌春(1999年4月)ご丁重に下さった御礼のお手紙です。
詳細はこちら
洋燈蔵 蔵書:「洋燈考」
本著「洋燈考」は、洋燈、石油ランプの歴史・種類・体系を知るうえで貴重な一冊です。当HPでも多くのものを引用させていただいてます。
abn長野朝日放送「いいね!信州スゴジカラ」12月19日放送【書道のまち長野市篠ノ井の書在地】で当店所蔵の川村驥山扇揮毫「福喜受栄」額と貴重な驥山扇のプライベート8mmが当店元会長夫人のインタビューと供に放映されました。
看板&家宝
「川村驥山扇 揮毫」