プレスガラス(型押しガラス)は、ガラス容器の形を内側に型取った凹型と凸型を用い、凹型に溶けたガラス種を入れ、凸型で押して形成するガラス製造方法です。また、ガラス製法には、うつわづくりの基本となる「吹きガラス」があります。「吹きガラス」には、どのように形を整えるかの違いで「 宙吹きガラス」と「 型吹きガラス」の2種類がありますが、基本的にはどちらも同じ製法です。しかしプレスガラス(型押しガラス)は、型吹きガラスに比べてより鮮明に型の模様を写し取ることが可能であり、厚くて丈夫で大量生産に向いています。
吹きガラスについて詳しくは
ブログ「吹きガラスうんちく」
明治・大正・昭和初期につくられたプレスガラスのうつわの中でも、プレスプレートは当時の文化を刻み込んでしまっている遊び心があるものです。例えば、戦勝記念や肖像を刻印することは、明らかに西洋の模写なのですが、何を刻し、何をアビ-ルしたかを知ることは、その時代の気風を知ることになります。およそ300種とも400種とも言われる文様の面白さも見逃すことが出来ません。模様では、網目模様・手毬模様やリンゴハ-ト模様などがあり、形も通常の円形のほか、楕円形や四角いものもあります。また、レ-ス皿と呼ばれるものや襞の付いたものもあります。大きさも小型なものから大きなものまで様々です。従来日本には存在しなかったこのプレスプレートは、西洋の影響を受け模造から始まった各種のデザインは日本独特の花鳥風月を取り入れ見事にデザイン化されている職人の技量や感覚の豊かさには、目を見張るものがあります。プレスプレートは、明治・大正・昭和初期の息吹を伝えるガラスの便りと言えます。
日本の本格的なプレス加工のよるガラス器の生産は、明治初年に品川硝子製作所がイギリスから二台のプレス加工の機械を輸入して以降のことである。すでにこの時からプレス製品には西洋の影響が強く、鮮明に刻印されていました。ドイツのマイセンが日本の柿右衛門様式を模倣したように、日本におけるプレスガラスは、輸入された様々な欧米製品の意匠を取り込んだものでした。イギリスやアメリカ製のプレスブレ-トは、レ-ス状の文様が複雑すぎてかえって記憶には残りません。一方、日本製ブレスプレ-トは、そうした外国の影響から脱し、質の良い鋳鉄によつて和風の型をつくり、主として国内向けに雅やかな伝統意匠のプレスブレ-トを創作して行きました。例えば「紅葉型平皿」は明治43年(1910年)発行の東京・本所の福島工場のプレス・カタログにすでに見て取れます。紅葉に鹿の小倉山・水玉に水車・磯千鳥などは王朝の風雅。福良雀・福禄寿・七宝文は吉祥の祈り。まさに日本の「ぴいどろ」の伝統がここに、プレスブレ-トに息づいています。また、明治38年(1905年)の旅順没落、東郷平八郎による日本海海戦の勝利は、直ちに商標や日本の諸工業の意匠にヒントをあたえ、漆器やプリント転写磁器に戦勝モチ-フのものが生まれました。ガラス器も例外でわなく、記念のプレスブレ-トが制作されました。大阪・北区の製硝合資会社は大正まで石笠やプレスブレ-トを制作していましたが「大日本海軍万歳」と刻まれた皿を売り出していました。従って戦勝皿はプレスブレ-ト(プラスガラス)の年代基準として貴重なものになっています。
【プレスプレート】
現在、フォトギャラリ-に掲載しております写真は、大門蔵内の仕分作業中のためまだ一部しかアップされておりません。作業が完了したものから順次アップして参りますので、大変に申し訳ございませんが全品掲載まではもう暫くお待ちください。
詳しくは「善光寺大門蔵
「洋燈考」の著者大谷勝治郎氏からの手紙が、先日5代目篠原基國の遺品のなかから見つかりました。大谷勝治郎氏が長野オリンピック観戦に長野に来られた際に当店のウィンドウに目を止め突然来店をされました。翌春(1999年4月)ご丁重に下さった御礼のお手紙です。
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洋燈蔵 蔵書:「洋燈考」
本著「洋燈考」は、洋燈、石油ランプの歴史・種類・体系を知るうえで貴重な一冊です。当HPでも多くのものを引用させていただいてます。
abn長野朝日放送「いいね!信州スゴジカラ」12月19日放送【書道のまち長野市篠ノ井の書在地】で当店所蔵の川村驥山扇揮毫「福喜受栄」額と貴重な驥山扇のプライベート8mmが当店元会長夫人のインタビューと供に放映されました。
看板&家宝
「川村驥山扇 揮毫」