19世紀半、欧米の主な都市ではガス灯の明かりが街路を明るく照らしていました。日本では、1872年(明治5年)横浜の神奈川県庁前に、初めて十数基のガス灯がともりました。この頃のガス灯は、15ワットくらいの明るさしかありませんでしたが、当時はちょうちんを持たなければ暗くて外が歩けなかったので、見物人が大勢集まり、お祭り騒ぎになりました。夕方には、はっぴ姿で長い竿の先に火をともした点灯夫がやってきて、次々とガス灯に火をつけて回りました。1886年(明治19年)には、「ガスマントル」の発明で明るさが5倍になりました。ガスマントルとは、木綿などの糸で編んだ網袋に発光剤(トリウムおよびセリウム)を吸収させたもので、ガスの炎にかぶせると、明るく青白い光を放ちます。青白い光となった炎の色が好まれて、家庭でも使われるようになり、ガス灯は20世紀の初めに全盛期を迎えました。しかし、1915年(大正4年)をピークにだんだん電灯に代わってゆき、1937年(昭和12年)にはすっかり姿を消してしまいました。最近は、ガス灯を建てて昔を懐かしむことがブームとなり、全国で約6000基のガス灯が復活されています。
「東京ガス/ピピッと!ガス百科」参照
「東京ガス/ピピッと!ガス百科」
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現在、フォトギャラリ-に掲載しております写真は、大門蔵内の仕分作業中のためまだ一部しかアップされておりません。作業が完了したものから順次アップして参りますので、大変に申し訳ございませんが全品掲載まではもう暫くお待ちください。
詳しくは「善光寺大門蔵
ガラス彩話②明治のあかり
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「洋燈考」の著者大谷勝治郎氏からの手紙が、先日5代目篠原基國の遺品のなかから見つかりました。大谷勝治郎氏が長野オリンピック観戦に長野に来られた際に当店のウィンドウに目を止め突然来店をされました。翌春(1999年4月)ご丁重に下さった御礼のお手紙です。
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洋燈蔵 蔵書:「洋燈考」
本著「洋燈考」は、洋燈、石油ランプの歴史・種類・体系を知るうえで貴重な一冊です。当HPでも多くのものを引用させていただいてます。
abn長野朝日放送「いいね!信州スゴジカラ」12月19日放送【書道のまち長野市篠ノ井の書在地】で当店所蔵の川村驥山扇揮毫「福喜受栄」額と貴重な驥山扇のプライベート8mmが当店元会長夫人のインタビューと供に放映されました。
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